館長ごあいさつ

世界に通ずるわたしたちの“ローカル記念館”を遺さねば100年後の未来はない

新渡戸記念館館長 新渡戸常憲
(音楽学博士 音楽評論家)

新年あけましておめでとうございます。思えば平成27年(2015年)6月に十和田市を提訴してから約3年半が経過しておりますが、建物の強度不足を理由に十和田市によって「廃館」とされた当館については、昨年11月2日青森地裁での差し戻し審において、当方の請求を棄却する判決が出されたため、控訴いたしましたことをご報告させていただきます。一昨年6月23日に仙台高裁が「原告側適法」として青森地裁に差し戻した時には、裁判の原因となった耐震診断の中身について今度こそ審理がなされるものと思われていましたが、一向に踏み込まないまま一年以上が経過し、この様な結果が出されましたことには、大変残念に思っております。

青森地裁は「記念館の耐震性に問題があり、市の財政状況の悪化等も含め廃止は行政側の裁量の範囲内である」としましたが、記念館が本当に強度不足なのか鑑定を行わず、全国の建築専門家たちから指摘されている不合理な点を放置したまま判決を出しました。このことに非常に問題を感じています。また十和田市側は当初、耐震強度不足を唯一の理由として廃館にしたにもかかわらず、いつのまにか財政悪化が実の理由として論点をすり替えました。本来許されるべきではないそうした後付けまでも青森地裁が許し、判決理由に加えたことなど一切が承服できないと感じています。

新渡戸記念館は、大正14年(1925年)に新渡戸稲造の意志により、その前身となる「私設新渡戸文庫」として稲造の祖父・新渡戸傳(号・太素/たいそ)の眠る太素塚の敷地内に設置されたのがはじまりです。江戸時代末期、「不毛の地」とされた三本木原(十和田市周辺地域)を米どころへ変えようと、南部・盛岡藩士であった新渡戸傳、十次郎(稲造の父)、七郎(稲造の兄)三代をはじめとする先人たちが人生をかけて始めた開拓は、その後一世紀を超える長い年月に亘り受け継がれ、基幹産業を農業とする田園都市・十和田の現在の発展を築き上げました。この開拓の苦難の歴史を、後に世界でも名高い国際人に成長した稲造少年は「世のため、人のための開拓」と捉え、そこから人としての生き方のなんたるべきかを学んでいます。

三本木原開拓は、水を引き、まちをつくり、京に学んで文化や産業を興し、神社仏閣を設置するといった地域の総合開発として始められましたが、二代目の新渡戸十次郎が急逝したこともあり、文化や教育面の取り組みは滞ることとなりました。その遺された課題に取り組むべく、開拓地を受け継ぐ三代目たちである、三本木新渡戸家の太田常利(新渡戸傳の娘・わかの次男、太田家養子)新渡戸訓(わかの三男、三本木新渡戸家を継ぐ)そして、従兄弟の新渡戸稲造(兄七郎の養子として新渡戸本家を継ぐ)は協力して新渡戸文庫を開きました。

設立者の一人である新渡戸稲造は、江戸から明治への時代の転換期に、東洋、西洋の文化が良き志を介して融合し、その新しい力で豊かな郷土を築いてゆくことを目指し、農政学者としての専門分野にとどまらず、教育、外交、社会福祉など多分野において国際的に活動しました。その視点から、新渡戸文庫には、三本木原開拓の古記録や伝来の武具などと共に、古今東西の蔵書を幅広く収め、設立理念として「博覧啓蒙」の書を掲げています。新渡戸記念館では、この設立理念を次のような願いとして読み解き、現在も活動の指針としています。

長い年月の中で大切に受け継がれた価値ある歴史文化財を広く人々の目に触れさせることで人々の感受性や洞察力、見識を深く豊かに涵養し、古今東西の書物に学びつつ、地域の歴史や文化を紐解くことで、この地域の成り立ちを知り、自分を知り、その立脚点から今を見つめ、世界の中でどう地域があるべきか、歩むべきかを考え、より良い未来を切り拓くことができる人材を育成すること

こうして三本木原開拓の資料、武具、稲造の蔵書などおよそ8000点の資料を収蔵、開館した私設新渡戸文庫は、昭和40年(1965年)十和田市との協力体制で貴重な所蔵文化財を永久に保存してゆこうと、現在の建物に更新され「十和田市立新渡戸記念館」となりました。更に昭和56年には所蔵資料が十和田市有形文化財第8号に指定されています。私設として40年、市立として50年、合せて90周年を迎えた平成27年(2015年)に、残念ながら上述の様な耐震診断に端を発する重大な問題が起こり、所蔵の有形文化財のみならず、立地する史跡太素塚に関わりおよそ150年続けられてきた太素祭などの無形文化財までもが、継承の危機に陥りました。しかし、お陰様で太素塚と新渡戸記念館を愛する十和田市民有志と、全国、そして全世界の方々のお力添えにより、現在もボランティア体制で有形無形の文化遺産を保存活用する博物館活動を継続しています。これは偏に新渡戸記念館を大切に思って下さる皆様のおかげと衷心より深く感謝申し上げます。

新渡戸記念館が存続の危機を迎えることによって、私を含め記念館の運営にたずさわる有志たちはもちろん、地域内外の多くの方々が、当館の掛け替えのない価値を改めて認識する結果となったものと存じます。地域にとっても日本にとっても貴重なものであることは、今や多くの方がご存じです。今後も、十和田市発展の原点である太素塚から、開拓精神、武士道精神を歴史と共に伝える博物館としての自負を大切に、地域を深く愛し育み、そして地域に愛され親しまれる館となってゆくよう邁進いたします。また、グローカルの先駆けとして活躍した新渡戸稲造博士の精神を大切に、ふるさとに根差しながら世界に開かれた窓として、世界に向け、未来に向け、メッセージを発信することを使命に努力してゆきたいと存じます。新渡戸家に伝わる「温故知新」の精神で伝統を大切にする一方、私なりのさまざまな創造もこの館の運営に反映できればと考えています。

問題になっている新渡戸記念館の建物は、生田勉東京大学名誉教授による意匠設計と、日本建築学会元会長でもあられた佐藤武夫早稲田大学教授の構造設計による日本に現存する唯一のコラボレーションであり、記念館の所蔵資料同様に価値のある建物とお聞きしております。この価値も大切に発信し、地域の財産として保存と活用の道を開いてゆきたいと思っております。

ぜひ一度当館を訪れていただき、十和田市地域の歴史と、その歴史を育んだ国立公園十和田湖から奥入瀬渓流、秀美な八甲田の山容、その見事な景観の四季折々の美しさを合わせてご覧いただければ幸いです。

最後になりますが、このような大変な状況の中で、既存の友人たちや記念館ファン、『武士道』ファンも含め新たな友人たちが、市内はもとより全国から我々を支持してくださることが、太素塚と新渡戸記念館を盛り立てようと活動するボランティア有志ひとりひとりにとって、何にも代えがたい財産となっています。それを感じるにつけ、私も三本木(十和田)新渡戸家を受け継ぐ者として、とても嬉しく思います。大切な宝を護ろうとする同じ志の方々との繋がりを一つ一つ見出し、その絆の力で少しずつより良い地域の未来を育んでいくことが、新渡戸家の先祖たちが望むことなのかも知れないと感じています。

一日も早い通常開館(運営)を目指し、全力を尽くして参りますので、今後とも皆様のご支援、ご指導のほど、何卒よろしくお願い申し上げ私のあいさつとさせていただきます。

今年は天皇陛下のご退位の年であり、近く新しい年号に代わる我が国にとっても重要な年となります。皆様におかれましても2019年が素晴らしい年になるよう心より祈念申し上げます。

平成31年(2019年)1月1日

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